『プラダを着た悪魔』原作と映画はここまで違う|結末・登場人物から読み解く、本当に伝えたかったこと

文学作品

もし、あなたがぐっすり眠っている夜中の1時から6時の間に、上司からこんな留守電が入っていたとします。

70丁目から80丁目の間にある、例のアンティークショップの住所と電話番号を調べといて。私がヴィンテージ物のドレッサーを見つけた店よ。

翌日、必死に探しても見つからず、上司に尋ねると返ってきた言葉は――

店の名前や住所は、留守電にちゃんと吹き込んでおいたでしょう。書き留めるのが、そんなに大変だったわけ?

これは、原作『プラダを着た悪魔』で、ミランダがアンディに実際に命じた仕事の一場面です。

かなりの鬼上司でしょ。

ちなみに、ミランダは留守電に店の名前も住所も電話番号も吹き込んでいません。つまり、最初から達成できない仕事を命じていたのです。

今回紹介する作品は、2026年5月に続編が公開された『プラダを着た悪魔』です。

作品のあらすじは、ご存じの方も多いでしょう。

田舎からニューヨークへやって来たアンドレア・サックス(アンディ)が、世界的なファッション誌「ランウェイ」の編集部で働くことになり、世界中の女性が憧れる華やかな世界の裏には、想像を絶する過酷な労働環境が待ち受けていた。

本作は、そんな環境の中で悩み、葛藤しながらも成長していくアンディの姿を描いた物語です。

映画をご覧になった方は、「原作も同じ内容なのでは?」と思われるかもしれません。

確かに物語の大筋は共通しています。しかし、細かな展開や登場人物の描かれ方、そして作品が伝えようとしているテーマには、映画と原作で意外なほど大きな違いがあります。

今回は、『プラダを着た悪魔』の原作と映画の違いを比較しながら、それぞれが何を描き、何を伝えたかったのかを考察していきます。

『プラダを着た悪魔』の原作と映画の違い

実はこの作品は、原作が執筆途中だった段階で映画プロデューサーの目に留まり、ミランダという強烈なキャラクターに魅了されたことから、映画化が決定したとも言われています。

そのため、同じ登場人物たちが登場するものの、原作と映画では物語の展開やキャラクターの描かれ方にかなりの違いがあります。

しかし、その違いがあるからこそ、それぞれが異なる魅力を持つ作品となり、映画も原作も今なお多くの人に語り継がれている名作なのではないでしょうか。

それでは、『プラダを着た悪魔』の原作と映画の違いを見ていきましょう。

登場人物

・アンドレア・サックス

アンディは映画ではアン・ハサウェイが演じたため、黒髪で長身の女性として描かれていますが、原作では金髪で長身の女性として登場します。

原作では、アンディはヨーロッパ旅行から帰国したものの、就職活動が思うように進まず、やけくそで履歴書を送り続けた結果、ランウェイの目に留まり面接を受けることとなります。一方、映画では、クルマ雑誌かファッション雑誌かの二択で迷った末、ランウェイの面接を受ける形へと変更されています。

また、原作のアンディは、映画以上に悩みや葛藤を抱える姿が描かれており、より人間らしく、等身大の女性として描かれているのも特徴です。


・ミランダ・プリーストリー

映画のミランダは、クールで大胆、仕事を完璧にこなす鬼上司として登場しています。

一方、原作のミランダは、映画よりも感情的で、仕事の指示もかなり曖昧。現代でいう典型的なパワハラ上司に近い人物として描かれています。

また、原作では映画のように人間らしい弱さを見せる場面がほとんどありません。そのため、最後まで「ヤバい上司」という印象が強く残る人物となっています。


・エミリー

映画のエミリーは、皮肉屋でアンディを見下していながらも、面倒見の良い先輩として描かれています。

一方、原作では、映画以上に優しい一面が描かれています。

例えば、アンディをミランダからかばったり、仕事をフォローしたり、一緒にミランダや仕事の愚痴を言い合ったりと、映画以上に頼れる先輩として描かれています。


・ナイジェル

みなさんは、ナイジェルは好きですか? 私は大好きです。

ミランダを右腕として支えながら、部下には思いやりを持って接し、時には厳しく、時には心の支えにもなる。仕事人としても、人としても魅力的なキャラクターですよね。

しかし、原作ではその印象が大きく異なります。

なんと、身長は約2m、浅黒い肌で筋肉質の男性として描かれているのです。これは原作を読んで、一番驚いた設定でした。

さらに、原作でのナイジェルの登場シーンは、上下巻を合わせても5ページに満たないほどしかありません。

映画では重要人物として活躍しているだけに、登場人物の中でも原作と映画で最も違いが大きいキャラクターと言えます。


・ネイト(原作ではアレックス)

映画では、アンディとネイトは同棲していますが、原作では同棲していません。また、彼はレストランのシェフではなく、国語教師として働いています。

実は映画公開後、ネイトはアンディのキャリアを邪魔した人物として批判を受けたことがあったそうです。

しかし、原作のアレックスは、映画以上にアンディのキャリアを否定するような発言をしています。

どちらかというと、映画のネイトはアンディに寄り添う彼氏という印象ですが、原作のアレックスは、アンディを思っているからこそ口を出すものの、少し自己中心的な一面もある彼氏という印象でした。


・リリー

映画では、アートギャラリーを経営するアンディの親友として登場しますが、出番はそれほど多くありません。

しかし、原作では映画以上に登場シーンが多く、アンディの親友でありルームメイトとして描かれています。さらに、まだ学生であり、その自由奔放な行動によってアンディのプライベートが振り回される、かなりのトラブルメーカーとして登場します。

そして、このリリーこそが原作終盤の重要人物でもあります。

彼女に起きたある出来事をきっかけに、アンディはランウェイを去るという大きな決断を下すことになるのです。


・クリスチャン・トンプソン(原作ではコリンズワース)

映画では、アンディの文章力や美しさに惹かれ、何かと彼女に近づこうとする人気作家として登場します。『ハリー・ポッター』の未発表原稿を手に入れるために貸しを作ったり、パリではアンディと一夜を共にしたりと、物語の重要人物として描かれています。

一方、原作でもアンディに積極的なアプローチをしたり、親しい関係になる場面はありますが、一夜を過ごすことはありません。また、アンディにとって尊敬する存在でありながら、どこか胡散臭さを感じさせる人物として描かれています。

実は、原作でも映画と同様に、エミリーがパリへ行けなくなったことで、急きょアンディがパリへ同行することになります。しかし、そのきっかけを作った人物はクリスチャン(コリンズワース)という設定になっています。

映画と原作では描かれ方に違いはあるものの、どちらでも謎の多い人気作家として物語を動かす重要人物であることに変わりはありません。

物語

・アンディの仕事

この記事の冒頭を読んでいただければわかると思いますが、原作のアンディは、映画以上に過酷な労働環境の中でミランダの理不尽な指示に従いながら仕事をこなしています。

ちなみに、原作にも『ハリー・ポッター』の未発表原稿を用意するよう命じられる場面があります。しかし、それを上回るほど理不尽な仕事も数多く言い渡されます。冒頭で紹介したアンティークショップを探す仕事も、その一つです。

もし、このような鬼上司の下で働いたら、何かしら仕返しをしたくなると思いませんか?

実は、原作のアンディは直接反抗するのではなく、間接的な方法でミランダやランウェイへ小さな反撃をしています。

例えば、毎朝買ってくるラテを多めに購入してホームレスへ渡したり、いつも利用するタクシーで高額なチップを渡したり、ミランダに聞こえるよう大きなため息をついたりと、陰険ながら思わず笑ってしまうような方法で鬱憤を晴らしています。

映画では、仕事をこなせるようになること自体がミランダへの”反撃”となっていましたが、原作では、現実的に仕事を頑張りながらも、少しずつストレスを発散していく人間らしい姿が描かれています。


・アンディの成長

映画では、ナイジェルに叱られたことをきっかけにアンディは意識を変え、ランウェイやミランダに認められるため努力を重ねます。そして物語後半では、エミリーに代わってパリへ同行するほど優秀なアシスタントへと成長していきます。

一方、原作ではナイジェルの登場はごくわずかで、映画のような転機となる出来事はありません。

仕事を覚えながら、エミリーや同僚、上司たちの服装や振る舞いを見よう見まねで取り入れ、少しずつランウェイにふさわしい存在へと成長していきます。

ちなみに、原作では映画のように何でも完璧にこなすアシスタントにはなりません。それでも、ミランダから一定の信頼を得られるまで成長しており、その描写は映画よりも現実味があります。


・アンディのプライベート

映画では、アンディのプライベートはあまり描かれていません。

父親と食事をしたり、ネイトや親友と食事や飲みに出かけたりする場面はありますが、その描写は比較的少なめです。

しかし、原作ではプライベートが丁寧に描かれています。

彼氏のアレックスの家で過ごしたり、親友のリリーと映画を観たり、飲みに行ったり、同僚たちとパーティーへ参加したりと、物語前半では仕事と私生活を両立している様子が描かれています。

しかし、物語が進むにつれて、その日常は少しずつ崩れていきます。

アレックスとは会えない日々が続き、約束の日も残業によって会えなくなります。

さらに原作では、トラブルメーカーであるリリーの行動によって、穏やかに過ごせるはずだった休日まで問題の解決に追われることになります。

映画では省略されていたアンディの私生活が、原作では丁寧に描かれているからこそ、仕事によって少しずつプライベートが崩壊していく様子が、よりリアルに伝わってきます。


ここまで見てきたように、『プラダを着た悪魔』は同じタイトル、同じ登場人物でありながら、原作と映画では物語の展開が大きく異なります。

こうした違いがあるからこそ、原作と映画では伝えたいテーマにも違いが生まれています。

しかし、どちらも社会で働くことや、自分らしい生き方について考えさせてくれる作品であることに変わりはありません。

次の章では、『プラダを着た悪魔』の原作と映画が、それぞれ何を伝えたかったのかを考察していきます。

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『プラダを着た悪魔』が伝えたい事

『プラダを着た悪魔』では、最終的にアンディがランウェイを去るという結末は、映画と原作で共通しています。

しかし、ランウェイを離れるまでの過程や、その決断に至った理由は大きく異なります。そして、その違いこそが、映画と原作で伝えたかったテーマの違いにもつながっているのではないでしょうか。

この章では、映画と原作でアンディがなぜランウェイを離れる決心をしたのかを、僕なりに考察していきたいと思います。

なお、ここからは原作・映画ともに終盤の内容に触れます。ネタバレを避けたい方は、このまま記事のまとめまで飛ばすか、ぜひ原作を読んでから戻ってきてください。


映画

おそらくみなさんも、ラストの発表からミランダとアンディが車内で会話を交わす場面は覚えていると思いますので、ここまでの流れは割愛します。

アンディは、ミランダによって夢を奪われたナイジェル、そしてミランダを守ろうと解任の情報を伝えようとした自分自身の行動に疑問を抱えたまま、ミランダと車に乗ることになります。

その時、ミランダはアンディにこう告げます。
「あなたは私とよく似ているわ」
「人が何を求め必要としているか、それを超えて自分のために決断できる人よ」

この場面で描かれる二人の決定的な違いは、その成功を本当に自分が望んでいたかどうかということです。

アンディは、家族や友人、そして同僚との関係を犠牲にしながら、この立場までたどり着きました。しかし、それはアンディ自身が望んで手に入れた成功ではなく、仕事に打ち込み成長した結果として手に入れてしまったものでした。

一方のミランダは違います。

彼女はプライベートや仲間との関係を犠牲にすることも受け入れたうえで、自らの意思で現在の地位を築き上げました。その結果、ファッション業界を代表する存在として、多くの人が憧れる成功と名声を手にしています。

ナイジェルの夢を犠牲にしてまで自らの地位を守ったこと。エミリーの夢を奪ってまでパリへ同行させたこと。そして、解任の情報を伝えようとした自分の行動さえ、すでにミランダの想定の中にあったこと。

こうした一連の出来事を通して、アンディは「このまま成功を追い求めれば、自分もミランダのような生き方を選ぶことになるのではないか」と考えるようになります。

しかし、アンディの背中を最後に押したのは、ミランダのこの一言でした。
「誰もが望んでいる事よ、誰もが憧れているの」

確かに、多くの人にとってランウェイで成功することは憧れなのかもしれません。

しかしアンディは、大切な人たちを犠牲にしてまで手に入れたい成功ではないことに気づきます。

だからこそ彼女は、自分らしい人生を選ぶためにミランダのもとを去る決断を下したのです。

しかし、アンディの決断もミランダの生き方も、どちらが正しくどちらが間違っているという話ではありません。

アンディはランウェイで働いた経験を通して、仕事への向き合い方と、本当に大切な人との時間の価値を学び、自分に合った生き方を見つけました。

一方のミランダも、仕事そのものを愛し、社会で生き残るために自らの意思で数々の決断を下してきました。その決断は残酷に映る場面もありますが、それもまた彼女が選んだ人生だったのです。


このように映画『プラダを着た悪魔』は、成功することの是非ではなく、自分に合った生き方とは何かを問いかけている作品なのだと、私は解釈しています。

ちなみに、ラストでミランダがアンディに向かって微笑んだ理由も、このセリフにつながっているのではないでしょうか。

「人が何を求め、必要としているか。それを超えて自分のために決断できる人よ。」

アンディは、ミランダと同じ道を選んではいません。

ミランダとは違う道であっても、自分自身のために決断を下した。

だからこそミランダは、自分が見込んだアシスタントが最後は自分の意思で歩む道を選んだことを認め、あの静かな笑みを浮かべたのだと私は考えています。

原作

一方、原作では映画のようにミランダから実力を認められることはなく、毎日のように理不尽な叱責を受けながら働いていました。

そして、ミランダがパリへ向かう一週間前、エミリーは伝染性単核症を患ってしまい、急遽アンディがパリへ同行することになります。

映画では、アンディはパリ行きに選ばれたことを喜んでいましたが、原作では最後まで拒否しようとするほど乗り気ではありませんでした。

結局、アンディはパリへ向かい、現地でもミランダのアシスタントとして振り回される日々を送ります。

そんな中、家族や恋人から連絡が入ります。

親友のリリーが飲酒運転による交通事故を起こし、病院へ搬送されたという知らせでした。

実は、この出来事の直前、アンディはランウェイに入社して11か月を迎え、ミランダから「昇進」あるいは「希望する出版社への推薦」のどちらかを約束されていました。

つまりアンディは、自分の将来のために仕事を優先するのか、それとも事故に遭った親友のもとへ帰るのかという、大きな選択を迫られることになります。

翌日、ミランダのそばにいる時、父親から再びリリーの容態について連絡が入ります。

しかしアンディは、その場でパリに残ることを選びます。

その決断を聞いたミランダは、アンディにこう告げます。

「あなたは若いころの私によく似ているわ。」

この言葉は、仕事のために大切な人よりもキャリアを優先したアンディを称賛する言葉でした。

しかしアンディにとっては、自分が最も嫌悪していた価値観を肯定されたようにしか思えず、ミランダへの嫌悪感はさらに強くなっていきます。

そして、アンディの我慢が限界に達した決定打となったのが、ミランダがパーティーで命じた、あまりにも理不尽な指示でした。

ミランダは、娘のパスポートの有効期限が切れていることに気づかなかったのはアンディの責任だとして、「明日までにパリへ来られるよう手配しなさい」と命じます。

法律上、不可能ともいえる無茶な要求でした。

これまで積み重なってきた理不尽な命令や罵声、親友よりも仕事を優先してしまった罪悪感、そして「あなたは若いころの私によく似ているわ」という言葉――。

そのすべてが重なり、アンディはついに我慢の限界を迎えます。

そしてミランダに怒りをぶつけ、ランウェイを辞めてアメリカへ帰国するのでした。

その後、リリーは無事に退院し、アンディはランウェイを辞めたことで、これまで積み重ねてきたキャリアやミランダから約束されていた将来を失うことになります。

しかし、その直後に一本の電話が入ります。

それは、以前アンディが執筆した小説の掲載が決まったという連絡でした。

アンディはその後、出版社でフリーランスとして小説原稿を書く仕事に就き、自分が本当に望んでいたキャリアを、新たな形でスタートさせることになります。


原作のアンディは、ミランダに叱責されながらランウェイで働き続けましたが、最後は仕事よりも大切な親友を選びます。

そして、一度は失ったと思われた夢も、自分らしい形で実現することができました。

映画では、「自分に合った生き方とは何か」というテーマが描かれていましたが、原作ではそれに加えて、目の前の成功だけが人生ではないというメッセージがより色濃く描かれているように感じます。

一見すると、アンディはランウェイを辞めたことで、キャリアも人脈もすべて失ったように思えます。

しかし、本当に自分がやりたかったことを諦めなかったからこそ、別の形で夢を叶えることができたのです。

だからこそ、原作は映画以上に現実的でありながら、「人生は一つの選択ですべてが終わるわけではない」という希望も感じさせてくれます。

僕自身、ミランダに怒りをぶつけるアンディの場面では、思わず胸がスッとしました。

そして読み終えたあとには、「もし自分だったらどうするだろう」と、アンディに自分を重ねて考えてしまいます。

映画とは違った形で読者に寄り添い、現実の仕事や人間関係にも通じるテーマを描いていることこそ、原作ならではの魅力なのだと思います。

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まとめ

『プラダを着た悪魔』は、映画も原作も「仕事」と「自分らしい生き方」という共通したテーマを描いています。しかし、その伝え方は大きく異なります。

映画では、ミランダとアンディという二人の対比を通して、「成功とは何か」「自分が本当に望む人生とは何か」を問いかけています。

一方、原作では、理不尽な職場で苦しみながらも、大切な人とのつながりを選び、遠回りをしてでも自分の夢を叶えるアンディの姿が描かれていました。

どちらの結末にも共通しているのは、「世間が求める成功」と「自分が望む幸せ」は必ずしも一致しないということです。

だからこそ、この作品は単なるファッション業界を舞台にしたサクセスストーリーではなく、自分はどのような人生を歩みたいのかを考えさせてくれる作品なのだと思います。

映画と原作では物語の展開や結末こそ異なりますが、それぞれにしか描けない魅力があります。

映画を観た方も、まだ原作を読んだことがない方も、ぜひ両方に触れ、それぞれが伝えたかったメッセージの違いを味わってみてください!

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